中学生の不登校体験

体験談

 私が中学生だった頃、不登校を経験したのは中学二年生の夏休み明けからでした。中学一年生のころは新しい環境に戸惑いながらも、何とかクラスメイトに馴染もうと努力し、部活動も一生懸命参加していました。最初のうちは緊張と期待が入り混じりつつも、これから始まる中学校生活にわくわくしていたのを覚えています。けれども、半年ほどが過ぎたあたりから、自分の中で何かが少しずつ変わり始めました。友達関係もそこそこうまくいっているようには見えたのですが、気が合うとは言えないクラスメイトとも一緒にいなければいけない時間が多く、些細なことが気になり始めて心が落ち着かなくなっていったのです。

 もともと私は、周囲の人の視線や評価を気にしがちな性格でした。些細なミスをしては「どう思われたかな」と不安になり、必要以上に「いい人」であろうとしてしまう。自分を守るために、常に周りの反応に敏感で疲れてしまうのです。その繰り返しの中で、小さなストレスが毎日少しずつ蓄積していきました。加えて、勉強面でも「いい成績を取りたい」という思いが強く、テストや提出物の締め切りに追われるたびに、より強いプレッシャーを感じるようになりました。

 そんな私のストレスの蓄積が表面化したのが中学二年生の夏休みが終わる直前でした。夏休みの間は部活がある日もありましたが、登校日がほとんどなく、クラスメイトと顔を合わせる機会も少なかったので、一時的に気が楽になっていたように感じます。ところが、夏休みの最終日が近づくにつれ、「また学校が始まる」「あのクラスメイトとうまくやっていけるだろうか」と考えてしまう時間が増え、夜になると不安で眠れなくなりました。次第に、「学校に行くのが怖い」と感じるようになり、朝起きると体がだるく、ひどい頭痛や腹痛に悩まされる日が増えてきたのです。

 そして新学期初日の朝、布団の中から出られないほどの倦怠感と不安に襲われました。家族に「行きたくない」「どうしても体が動かない」と訴えると、最初は「サボりたいだけじゃないの?」と疑われました。でも、私の必死な様子を見て、両親も「もしかしたら本当に体調が悪いのかもしれない」と思うようになり、その日は無理やり登校することは勧められずに済みました。翌日も同じように行くことができず、結局、夏休み明け最初の一週間は学校に行かないまま過ぎてしまいました。

 不登校が続くにつれ、両親は学校に相談し、担任の先生やスクールカウンセラーと話す機会を作ってくれました。私は最初、先生やカウンセラーに会うことすら怖くて、家に来てもらっても部屋から出たくない気持ちが強かったです。何より、自分が「不登校の子」として見られることが恥ずかしく、情けなく思っていました。毎日を部屋で過ごしながら、「本当はちゃんと行かなきゃ」「行かなきゃいけないのに行けない自分はダメなんだ」と自分を責め続けていました。

 そんな日々が一か月、二か月と過ぎるうちに、周囲の視線ばかりを気にしていた私でも、少しずつ「なんとかこの状況を変えたい」という気持ちが出てきたのを覚えています。それまでは自分を追い詰めるあまり、どうやって学校に戻ればいいのかも分からず、ただただ悶々としていました。そんなとき、担任の先生から「学校に毎日来られなくても、まずは保健室登校から始めてみないか」と提案がありました。正直、初めは「無理に決まってる」と思ったのですが、両親が「少しでも外に出られるときがあったら行ってみよう」と背中を押してくれました。

 私は登校しようと決めても、当日の朝になると体が重くなったり、不安で頭が真っ白になったりしてしまうことが多く、実際に行動に移すのは簡単ではありませんでした。それでも、担任の先生は「行けるときでいいんだよ」「来られたらそれだけで大丈夫だから」と言ってくれて、保健室登校に向かう日に先生が校門まで迎えに来てくれるような形をとってくれました。そのとき初めて、「学校の先生って、ただ厳しく指導してくるだけじゃないんだ」「自分のことを本当に気にかけてくれている人がいるんだ」と感じ、わずかに安心感が生まれました。

 保健室登校を始めたばかりのころは、学校に着いただけでぐったりしてしまい、ほとんど保健室で休んでいるだけの日もありました。朝のホームルームや授業には参加できず、クラスメイトとも顔を合わせることなく帰宅していました。家に帰ると「こんなの登校したうちに入らない」「自分は情けない」と落ち込むことも多々ありました。でも、カウンセラーの先生が「そこにいるだけでも一歩前進だよ」と言ってくれたのが救いになりました。また、保健室登校をしていると、同じように心身の不調や不安を抱えているほかの生徒にも会う機会がありました。共通の悩みを持つ仲間の存在は、私が一人ではないのだという安心感を与えてくれました。

 ある程度保健室に通えるようになると、次は「廊下を歩いてみよう」「クラスの前まで行ってみよう」という段階的な目標を立てることになりました。最初は廊下を歩くだけでも「もしかしたらクラスメイトと鉢合わせるかもしれない」「何か言われるかもしれない」と恐怖でいっぱいでした。けれども、実際にやってみると案外、クラスメイトの多くは私が登校していない間も普通に学校生活を送っているわけで、すれ違っても何か特別な反応をされるわけではありませんでした。むしろ、「久しぶり」「大丈夫?」と心配そうに声をかけてくれる子もいて、私はそこに少し救われました。

 その後、少しずつ心の余裕が戻ってきたことで、カウンセリングや家族との対話を通して、自分が抱えているストレスの原因に目を向ける機会が増えました。大きな要因は、やはり「人の評価が怖い」という過度の緊張感にあったと思います。どこかで「いい子でなくてはいけない」「失敗は許されない」と思い込んでいる自分に気づきました。カウンセラーの先生は「失敗してもいいし、全部に完璧でなくてもいいんだよ。あなたはあなたのペースで歩めばいい」と何度も繰り返してくれました。家族も「無理して登校しなくても、あなたの気持ちを大切にしてほしい」と言ってくれて、私は次第に「自分は何をしてもダメな存在」という思い込みから解放されていったのです。

 その頃から、私は短い時間でも好きな音楽を聴いたり、絵を描いたり、外を散歩したりと、自分が少しでもリラックスできる時間を積極的に作るようにしました。これまで「勉強しなきゃ」「部活に行かなきゃ」と無理やりがんばることばかりを考えていましたが、まずは心身を回復させることを優先するようにしたのです。すると、少しずつ「もう少しだけ頑張ってみようかな」という気力が芽生え始め、週に数回、保健室だけでなく教室に顔を出してみる気持ちが生まれてきました。

 最初は教室に入ると心臓がドキドキして苦しくなり、机に座っているだけで精一杯でした。ところが、クラスメイトや先生は思った以上に自然に接してくれて、「戻ってきてくれてうれしい」「無理しないでね」と温かい言葉をかけてくれました。そのやりとりを何度か繰り返すうちに、私の中で「学校=怖い場所」というイメージが少しずつ薄れていったのです。もちろん、完璧に怖さが消えたわけではありませんし、突然不安が強まる日もありました。でも、それでも「まだ私には戻る場所があるんだ」という感覚を得られたのは大きな一歩でした。

 最終的に、私は完全に毎日登校できるようになるまでには数か月かかりました。その間も、調子の悪い日は休んだり、保健室で過ごしたり、カウンセラーに相談したりといった“回復の揺れ”は何度も経験しました。しかし、その揺れを通して、学校に行くことだけがゴールではないと思えるようになりました。自分の気持ちや体調を尊重しつつ、一歩ずつ自分のペースで進んでいいのだと受け入れることで、不登校だった日々に対する罪悪感や焦りが徐々に和らいでいったのです。

 また、以前とは違い、学校での時間だけがすべてだとは思わなくなりました。クラスメイトと過ごす時間も大切ですが、家族や先生、カウンセラーなど、自分を支えてくれる人とのつながりも同じくらい大切であり、そのおかげで今の自分があるのだと気づいたのです。不登校になったことで得た「一度立ち止まって考える時間」や「周囲からの支えのありがたさを感じる経験」は、振り返れば私にとって貴重な学びでした。

 復学してしばらくしたある日、担任の先生に「不登校だったころ、何が一番つらかった?」と聞かれたことがありました。そのとき私は、「自分はもうだめだと思い込んで、一人で勝手に絶望していたことが一番つらかった」と答えました。実際、不登校になった当初は「学校に行けない自分は終わりだ」とまで思いつめていました。しかし、まわりには理解しようとしてくれる人や同じような経験をしている仲間がいて、少しずつ助けてもらいながら進むことができました。もしあのとき、一人で抱え込んだままだったら、もっと状況は悪化していたかもしれません。

 現在、私はあの経験を通して「自分にとっての安心や居場所を見つけることがどれほど大切か」を強く感じるようになりました。そして、そうした居場所は必ずしも一つではなく、いろいろな形があっていいのだとも思います。学校が居心地のいい人もいれば、逆に家や別のコミュニティの方が落ち着く人もいます。自分が心を開ける相手や空間を見つけられれば、不登校の期間も決して“無駄”ではないのだと今は言えます。

 不登校を経験していたころは、自分のすべてが否定されたような気持ちになっていました。けれども、時間が経ち、いろいろな人のサポートを受けながら少しずつ外に目を向けることができた結果、私はまた学校に行けるようになり、少なくとも昔よりは自分を肯定できるようになりました。この体験を振り返ってみて、不登校というのは決して「負け」や「逃げ」ではなく、「自分のペースを取り戻すための大切な時間」だったと思えます。だからこそ、もし同じように悩んでいる人がいるならば、どうか一人で苦しまず、家族や友人、先生、そして専門家に心の内を少しだけでも話してみてほしいのです。勇気がいることだけれど、その小さな一歩が、学校に戻る道だけでなく、自分自身を取り戻す大きな転機になるのだと私は信じています。